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ロシア軍・ドイツ軍の慰安婦 (第一次大戦)

ロシア軍(第一次大戦)
ドイツ式「慰安所」の導入を計画

慰安婦問題の”プロフェッショナル”達が「第2次世界大戦下では旧日本軍とナチス・ドイツだけです」などとわざわざ限定条件をつけるのは、第二次大戦以降もフランス軍や韓国軍に「慰安所」が存在していたという事実が、彼らにとって都合が悪いからなのだろう。そのドイツにしても、第二次大戦で初めて「慰安所」や「慰安婦」が登場したわけではなく、これらは第一次大戦から存在していたのである。ただこれについても、ナチス期以外のドイツと比較されるのは都合が悪いのか、プロ達は触れようとしない。

そしてロシア軍も、ドイツのシステムに注目し「慰安所」の導入に着手していた。もしも成功していたら、1945年のベルリンの悲劇は防げたのかもしれない。「“世界のどこにでもある話”とすることで旧日本軍の犯罪行為を免罪しようとする卑劣な発言です」と、赤旗は慰安婦問題の普遍化を牽制するのであるが・・・。

軍隊(陸軍)のセックスと軍用売春宿が大戦争の勝利に貢献
Army sex and military brothels contributed to victories in major wars

第一次大戦中、ロシア陸軍に売春宿を設ける試みは三つあった。皇帝派も臨時政府もいくつかの理由で陸軍の為に野戦売春宿を設ける事を計画した。ボルシェビキも、1917年の4月に同様の計画を進めていた。ロシア陸軍の売春宿は、1915年から陸軍兵士たちにサービスを提供していたドイツ軍の野戦売春宿をお手本とするはずだった

1916年夏のブルシーロフ攻勢の後、ロシア陸軍はドイツの野戦売春宿をいくつか確保した。ロシアの新聞は、コサック兵たちが娼婦たちをとても大事に扱っていたと報じた。新聞によると、女性たちはロシア軍が更に西方に移動する間、かなり長い期間コサック兵たちと一緒にいた。当時ブルシーロフ将軍の部隊はよくやっていたので、司令部は兵士たちが酒色に耽ることについて大抵見て見ぬ振りをした。戦争はやがて長期の塹壕戦に突入した。その結果、ロシア陸軍の前線部隊の近くに売春宿が建つようになった


ロシア臨時政府は、軍用売春宿の合法化を計画した。1917年の3月、「勝利まで戦う」の熱心な賛同者だった当時の外務大臣パーヴェル・ミリュコーフが、敵の経験を利用してロシア陸軍に野戦売春宿を設ける事を提案した。ミリュコーフは、辞職を申し出るほんの数日前にこの提案を思いついた。ミリュコーフによれば、野戦売春宿は兵士たちの士気を高めるはずだった。そして、兵士たちの臨時政府に対する敵対的な態度を変える為に計画されたものでもあった。

ミリュコーフの提案は公的な支持を得ることは出来ず、臨時政府は次の機会にと先送りした。しかしペトログラード・ソビエト実行委員会(?)の委員たちは、明かにこの提案に注目していた。1917年の4月、ペトログラード・ソビエトは、ロシア陸軍に野戦売春宿を設けるべく指令第三号を発令した。ペトログラード・ソビエトは、頻発する軍人による地域住民に対する乱暴な犯罪を減らす助けになると期待した。またしても(?)計画はドイツの経験を活用するものであった。しかし、結局計画は実行されなかった。ロシアで内戦が始まり、世界革命がそれに続いた。世界革命の勃発によっても、ドイツの軍用売春宿は1945年まで将兵に対するサービスの提供は止めなかった。

ドイツ軍当局は、武器や糧食の配給について規則に厳格なまでに固守する事で知られていた。兵士の性生活に関するドイツ軍当局からの命令も同様に四角四面だった。陸軍当局は、兵士たちの士気を維持する為には、常識の範囲で売春婦との接触を認めねばならないという事を明白に認識していた。その為に、ドイツ軍の占領地に将兵の為の軍用売春宿を確実に設置するべく手段が講じられた。5人から20人の「戦場の花」で構成された野戦売春宿が陸軍に従った。軍用売春婦の生活は気楽なものとはとても言えなかった。規則によれば、娼婦は、月に最大600人の兵士の相手をしなければならなかった。さもなければ、給料や報酬を取り上げられた。

妓楼には三種類あった。最上級は将校や士官用、その下の下士官用、三番目は一般兵士用。規則によれば、兵士100人に一人、下士官75人に一人と将校・士官50人に一人の娼婦が配給されることになっていた。しかしながら、軍当局はすぐに、肉欲に駆られた軍人たちの要求に応じられるだけの愛国心に満ちたドイツ人娼婦を売春宿に供給するのはますます難しくなる事に気づいた。しかも、仕事の過酷さから娼婦は長く耐えられなかった。

結果として、軍当局はドイツ軍占領地の女性を雇わざるを得なくなった。占領地の慢性的な悲惨な状況に、ほとんどの女性は自発的に仕事についた。彼女たちが敵に体を売る最大の動機は金と配給品だった。ドイツの将校は最初、占領地の女性といかなるものであれ、親密な関係を持つことを厳しく禁じられていた。ほどなく士官たちは、軍の売春宿のドイツの夜の女に飽きがくるようになった。必然的に、高級将校たちは、ドイツ軍士官と地元女性の無数の交流について目を瞑るほかなかった。将校の中には子供を設けた者さえいた。

ドイツ軍司令部は、もともとは、軍の中の性病の広がりを抑えるために軍用売春宿を設けた。予防手段を徹底するには、陸軍の衛生担当者の管理下にある軍施設が最善と思われた。ドイツ軍には、占領地の娼婦から移される性病の蔓延を抑える為に手段を講じる相応の理由があった。例えば、性病に罹患したドイツの兵士は、ハンガリーでだけでも、一か月の全ドイツ軍の戦闘における死傷者より多かった。軍の娼婦を利用したいと思う兵士は、毎回厳しい衛生基準に従わねばならなかった。

一次大戦中に慰安所を導入した独軍
慰安所は1945年(二次大戦)まで存在した

規則は軍当局からおもいっきりドイツ風の厳めしさで下達された。概して、軍の売春宿の利用は、兵士たちにとって酒色に耽るどころではなかった。入場カードを手にする前に、兵士たちは全員必須の健康診断を受けねばならなかった。通常の情報、例えば割り当て時間と売春宿の番号を記入する以外に、カードには終了後に売春婦のサインと登録番号を書くスペースがあった。兵士は衛生官よりコンドーム3つと消毒パウダーの缶を支給され、シャワー室に案内される。兵士は性交の前に、最初に自分の性器、次に売春婦の性器に消毒薬をふりかけるよう言われる。出る時に、兵士は自分のカードと消毒薬の空き缶を担当の曹長に見せねばならなかった。それどころか、兵士たちは、売春宿で性交渉を避ける事を許されなかった。セックスしなかったり、売春宿へ行くことを拒否するのも懲罰ものとみなされかねなかった。一般兵士は月に6回売春宿に行く権利が与えられていた。

1915年、ドイツ軍は、東部戦線の複数の防御区域に宣伝ビラを撒くのに飛行機を使った。ビラには、スラブ系の少女たちが派手な服を来た若い男たちを抱きしめていた。「イワン。君の恋人は、君が戦争をしている間に他の男とお楽しみだぞ!」とキャプションがついていた。

イギリス軍は、第二次大戦中のドイツの売春宿システムに付け込んだ。多くのドイツ兵が、イギリスのスパイが持ち込んだ汚染されたコンドームによって軍の売春宿で病気をもらい、病院で疥癬の治療を受けた。

戦後日本で慰安婦の提供を受けた米軍
ソ連でもサービスを受けていた?(ムルマンスク港)

未確認の情報によると、第二次大戦中、ソ連軍の諜報機関がムルマンスク港に西側の水兵用に売春宿を造った。ムルマンスクは、戦時中赤軍に武器や糧食を運ぶ米英の護送船団に大いに利用されていた。国営の売春宿は、諜報機関の士官により選抜された若く魅力的な女性で一杯だった。1945年に戦争が終わって直ぐに、当局はもっとも恐ろしい方法で女性たちを処分した。噂によれば、300人の女性ははしけに乗船することを命じられ、はしけは海に引き出され沈められたと言う。

プラウダ 2007.2.4   [原文]


2015/01/15

「ドイツは謝罪していない、日本は20年間一人で取り組んで来た」 ラインハルト・ツェルナー

「慰安所」とドイツ兵

これはラインハルト・ツェルナーの本論ではない。その事はお断りしておかねばならない。

本論では「日本では『性奴隷』と『強制』が国際的な議論の場において、どのような文脈で論じられているかがよく理解されていない」とか、日本の名誉回復とは「犠牲者の苦しみに心を寄せる」ことだと安倍首相に注文している。日本の保守派にKY度が甚だしいのはその通りなのだろうが、「学術的に見ても、河野談話を見直す必要性はまったくない」というツェルナーも、なんだかなぁという感じではある。最新号ということもあり、今回その部分は転載しなかった。ツェルナーが余談として、ドイツ軍の性の問題とそれに対する後始末について述べているのがこの部分である。

ドイツといえば、強制収容所における強制(究極の選択)売春が有名だが、国防軍用の慰安所も存在した。そして、慰安婦に対しドイツは謝罪していないとツェルナーは指摘している(慰安所が「日本帝国軍の特有なものだった」と言い切ったフランクフルト新聞の記者もいたが・・・)。

そして、以下の部分。

日本はこの問題に二〇年間以上ひとりで取り組んで来た。そして、その結果、史料調査、方法論、人道対策などの面でかなり専門的なノウハウを蓄積している。ただ、それに見合った満足できる政治的成果を得られていない

これはこの通りで、河野談話の恣意的解釈を許さぬよう明確化した上で、逆に日本を見習ってみよと国際社会にアピールするような攻めの姿勢があってもいい。

他国の慰安婦問題を持ち出すことには、昨年9月の朝生でも、それで日本の名誉が回復するのか、それはその国が考えることだとムキになる識者もいたが、「蓄積してきた知識と知恵を生かしてともに研究し、責任を解明し、人道的な対策を取ろうと呼び掛け」ること(ツェルナー)に、反対する理由が自分には分からない。彼が言うように、日本はこの問題に20年以上ひとりで取り組んで来たのであり、結果として、救われたのは日本軍の慰安婦だけなのである。

「日本の名誉回復」には何が必要なのか(一部) ラインハルト・ツェルナー 

・・・ドイツは戦後処理をうまく行なったと言われているが、第二次大戦中にドイツ国防軍のための慰安所を国が運営していた。このことについて現在まで公に論議されたことはないし、政府としての反省も元慰安婦に対する謝罪もしていない。戦争責任の面で日本は「ドイツから学べ」と言われるが、この問題に関してはそうも言えないのだ。

第二次大戦における性暴力の問題が、戦後、体系的かつ徹底的に論じられたのは、これまで日本の慰安婦問題以外にない。日本はこの問題に二〇年間以上ひとりで取り組んで来た。そして、その結果、史料調査、方法論、人道対策などの面でかなり専門的なノウハウを蓄積している。ただ、それに見合った満足できる政治的成果を得られていない

他方でドイツは、強制労働、ナチスによる美術品略奪、ナチスではないドイツ国防軍による戦争犯罪などの問題の処理は済み、外交上も成功を収めたが、強制収容所内慰安所や国防軍がフランスで運営していた慰安所、東欧の前線で行なわれた強姦、アーリア人化のためのレーベンスボルン(生命の泉)計画などの戦時下の性暴力問題に関する態度は曖昧だ。

しかし、日本が過去の責任をともに担い、アクチュアルな人権問題との関連においてこの問題を捉えよう、日独それぞれが蓄積してきた知識と知恵を生かしてともに研究し、責任を解明し、人道的な対策を取ろうと呼び掛ければ、ドイツは必ず建設的に応じるだろう。第二次大戦開戦八〇周年の二〇一九年を目途に、日本とドイツの協働を開始することはできないものだろうか。「日本の名誉回復」を実現するためにも。

ただし、急いだ方がいい。もう時間はあまり残されていない。

世界 2015.2 P.149

2013/03/25

米国の慰安婦騒動、ドイツ軍慰安婦問題に飛び火?


NYのホロコースト博物館で、日本軍慰安婦の常設展が始まる

自分の印象では、不純な動機で慰安婦騒動に関わっている人たちは日本軍以外にも同様の施設(慰安所)があったという話を避けようとする。特ア系のジャパン・バッシャー達は、日本による歴史上類を見ない残虐行為だと宣伝したいし、左派系の日本人もこの話題を避けたがる。左派系の日本人に関しては、これは、実体験として言える(ただし、フェミニズム系の論者の中には例外もいる)。

ドイツ軍の慰安所

KAPACのような団体は、本来なら、日本に固有の問題だと言いたいところだろう。しかし、ナチスの蛮行となれば別である。戦前の日本=ナチス・ドイツ。日本軍の慰安所=アウシュピッツ(ホロコースト)。朝鮮人とユダヤ人は、それぞれヒトラーと日本人に虐げられた民族・・・というイメージを作りたいのだろうから。

彼らがホロコースト博物館で決して持ち出さない話題。それは、韓国軍にも慰安所があったという事実である。

慰安婦:米国ホロコースト記念館に展示室開設へ

ナチス・ドイツの性的奴隷問題と合わせ告発

米国ニューヨークにあるホロコースト記念館が、旧日本軍の従軍慰安婦問題を、ナチス・ドイツによる「ユダヤ人性的奴隷」問題と合わせて世界に告発する取り組みを進めている。同記念館側は最近、館内に「日本軍慰安婦常設展示室」を開設することで、現地の韓国系住民団体「韓米公共政策委員会(KAPAC)」と合意した。当初、この内容を今月25日に発表する予定だったが、日程を5月に延期した。KAPACのイ・チョルウ会長は「ホロコースト記念館側がユダヤ人性的奴隷に関する資料を新たに確保し『戦時下の女性の人権蹂躙(じゅうりん)』というテーマで大々的な告発キャンペーンを繰り広げるという意向を伝えてきた。同記念館のスティーブ・マコウィッツ会長や理事たちが韓国の元慰安婦たちの話を聞き、これまで知られていなかったユダヤ人性的奴隷の問題についても公にすべきときだと感じた、と話していた」と語った。

ナチス・ドイツは第2次世界大戦中、ラベンスブルクやアウシュビッツの収容所で、少なくとも200人以上のユダヤ人を選び、ドイツ全域の軍部隊十数カ所で性的奴隷として働かせたとされる。

2012/05/03

[動画] ドイツ軍の慰安所

自分はドイツ語が分からないので、この動画の内容も来歴もよく分からない。グーグル・ビデオにある解説もドイツ語なのだが(動画はYouTubeのものと差し替えた)、幸いドイツ語と英語は、日本語と韓国語のように機械翻訳の相性がいいので、一旦機械が英語に訳した物を日本語に直してみた。例によって、元のドイツ語の解説を一番下に転記しておいたので、正確を期する場合はそちらを参考にしていただきたい。

※ グーグル・ビデオの解説と、ドイツ公共放送連盟 ADR の番組紹介を日本語に訳して下さった方がおられます。本文を、提供して頂いた訳文と差し替えました。なお、翻訳者から、ポーランドやウクライナが戦後まもな共産主義の検閲下(ナチスからの解放というプロパガンダの下)に入ったことも頭に入れておくべきとのアドバイスも頂きました。 (2013.5.28)


ドイツ軍の「慰安所」買春事情については、これまでにも何度かお伝えしているが、最近ではアメリカを舞台に日本軍慰安婦問題をホロコーストと結びつけるキャンペーンが盛んになってきているので、そろそろ日本人自身がこの問題を客観的に考えられるよう情報をまとめた方がいいのかもしれない。左上の写真は、ドイツ軍がフランスに開設した「慰安所」とされている。

なお、ドイツに学べ学べと言うアメリカ人の多くは、ドイツ軍の売春宿の存在を知らないか無視しているが、ドイツ政府はこれらの女性に何の補償も行なっていない。ドイツには慰安婦は存在したが、慰安婦問題は存在しない。


略奪品としての女性 ― 国防軍と売春

ポズナニ出身(訳注:ポーランドの都市)のマリア・K ー 国防軍のための強制売春の犠牲者1940 年のあとナチス当局は軍隊の売春宿の設置を開始した。女性は「モノ(Materialの訳)」と見なされ、無理矢理、占領地域や強制収容所で徴募(rekrutieren の訳)された。
彼女たちは今日までどこにおいても犠牲者としては認められていない。「ナチス親衛隊の男たちがやってきて、美しい女性たちを集めた。彼らはいった―前線で兵士の世話をするのだ」そう話すのは、ウクライナのSkadowsk(訳注:黒海の港町)出身のおばあさんNina Michailowna だ。彼女が描写したことは、第二次世界大戦の歴史にある陰鬱で人間軽視の側面のなかに数えられる。前線において規制の必要があったことは、1940 年以降担当当局にとって、明白だった。数千人もの兵士たちが病気に感染し、軍隊は数ヶ月以上、気晴らしをすることがなかった。その結果として軍当局は売春宿を設置することを始めたのである。

・番組データ
Frauen als Beute - Wehrmacht und Prostitution
(Titel der englischen Fassung: "Women as Booty")
Produktion: D 2005, Aquino Film - WDR - Erstsendung: 12.01.2005 (ARD) - 43 Minuten
Tomas Gaevert&Martin Hilbert による2005 年テレビ放送ドキュメンタリー作品 http://www.thomas-gaevert.de/

Frauen als Beute - Wehrmacht und Prostitution

Maria K. aus Posen - eines der Opfer der Zwangsprostitution für die deutsche Wehrmacht. Nach 1940 begannen die NS-Behörden mit der Einrichtung von Militärbordellen. Die Frauen galten als “Material”, wurden mit Gewalt in besetzten Gebieten oder in Konzentrationslagern rekrutiert. Als Opfer sind sie bis heute nirgends anerkannt. “Die SS-Männer kamen und suchten sich die schönen Frauen aus. Sie sagten - für die Front, die Soldaten zu versorgen.” Das erzählt Nina Michailowna, eine alte Frau aus Skadowsk in der Ukraine. Was sie beschreibt, gehört zu einem besonders finsteren und menschenverachtenden Aspekt der Geschichte des Zweiten Weltkriegs: dem Missbrauch von Frauen in deutschen Militärbordellen. Ab 1940 war den zuständigen Behörden klar, dass es an der Front Regelungsbedarf gab. Tausende von Soldaten infizierten sich mit Krankheiten und standen oft über Monate der Truppe nicht zur Verfügung. Daraufhin begannen die Militärbehörden, eigene Bordelle einzurichten..

Google Video (リンク切れ)

ARD(放送)による番組紹介

「SS(ナチスの親衛隊)がやってきて美しい女性を探していたんだよ-前線で兵士の世話をするためにね」そう話すのは、ウクライナのSkadowsk 出身のおばあさんNina Michailowna だ。

彼女が描写したのは第二次世界大戦における歴史の特に陰鬱で人間を軽視した一つの側面-ドイツの軍隊の売春宿での女性への暴行・陵辱である。

前線において規制の必要があるのは1940 年から当局にとってははっきりしていた。何千もの兵士が性病に感染しており、部隊は何ヶ月も使い物にならなかった。それゆえ軍当局は、自らの売春宿を作り始めた。そのコントロールのために司令部の医師と現地の軍管理当局が割り当てられた。その措置が始まったフランスでは、国防軍が現存の体制を担った。このことは多くのフランスの売春婦にとって、そのとき以来、最も厳しい監視もしくは収容所への移送にさらされることを意味していた。

東ヨーロッパの占領地域では、状況はさらに著しく激しいものであったーここでは軍の売春宿へ女性を徴募(rekrutieren の訳)するためにますます暴力が用いられたのだ。

ほかにもいろいろある中で、新しい女性への絶えず増えていく需要を満たすために恣意的な逮捕、警察の手入れ、収容所への抑留などが行われた。

その際、該当女性は「モノ」と見なされ、それは感染源の監視のためにある。「人種恥辱(罪)」(訳注:Rassenschandeーアーリア人と非アーリア人の間の性的関係を示すナチスの用語)との非難を避けるために、ドイツ当局はたとえば、売春宿にいるポーランド人を「人」ではなく「モノ」と規定した。たいていの場合命を助けることができるという偽りの約束の下で、強制収容所でも女性は募集された。

今までただ断片的な調査があっただけであり、軍の売春宿やそこに収容された女性の運命についてはいくつかの少ない目撃証言しかなかった。この犯罪的な行為の犠牲者は、一生涯ずっとその経験を抑圧することを試みてきた。

ポーランドとウクライナ出身の生存者が、その沈黙を破った。彼女たちは、何を彼女が経験し、観てきたかを報告している。彼女たちは強制売春婦の打ち続くいばらの道が、並々ならぬ苦渋のものであったことをも語っている。彼女たちは自国の人々の助けも全く見つけることができなかったばかりか、事態は全く逆なのである。姦淫に対する伝統的な侮蔑の感情が、多くの場合、敵方への協力の嫌疑となった。軍の売春宿を生き残った女性たちは、裏切り者と断定され殺害された。そのこともあって、彼女たちの歩んだ人生の解明はこんにちまで大変難しいものになっている。彼女たちはこんにちまで、どこにおいても犠牲者としては認められていない。

Rassenschande
http://en.wikipedia.org/wiki/Rassenschande
英語
http://en.wikipedia.org/wiki/German_military_brothels_in_World_War_II
http://en.wikipedia.org/wiki/German_camp_brothels_in_World_War_II
Spiegel 英語版
http://www.spiegel.de/international/germany/concentration-camp-bordell
os-the-main-thing-was-to-survive-at-all-a-632558.html

"Die SS-Männer kamen und suchten sich die schönen Frauen aus. Sie sagten - für die Front, um die Soldaten zu versorgen." Das erzählt Nina Michailowna, eine alte Frau aus Skadowsk in der Ukraine.

Was sie beschreibt, gehört zu einem besonders finsteren und menschenverachtenden Aspekt der Geschichte des Zweiten Weltkriegs: dem Missbrauch von Frauen in deutschen Militärbordellen.

Ab 1940 war den zuständigen Behörden klar, dass es an der Front Regelungsbedarf gab. Tausende von Soldaten infizierten sich mit Geschlechtskrankheiten und standen oft über Monate der Truppe nicht zur Verfügung. Daraufhin begannen die Militärbehörden, eigene Bordelle einzurichten. Für deren Kontrolle wurden Kommandanturärzte und örtliche Militärverwaltungen zuständig gemacht. In Frankreich, wo mit diesen Maßnahmen begonnen wurde, übernahm die Wehrmacht bestehende Etablissements. Für viele französische Prostituierte bedeutete dies von nun an strengste Überwachung oder den Abtransport in Internierungslager.

In den besetzten Gebieten Osteuropas war die Situation noch erheblich radikaler: Hier wurde zunehmend Gewalt angewendet, um Frauen für Militärbordelle zu rekrutieren. Willkürliche Verhaftungen, Razzien und Deportationen dienten unter anderem dazu, den stets wachsenden Bedarf nach immer neuen Frauen zu decken. Die Betroffenen galten dabei als 'Material' und zu überwachende Ansteckungsquelle. Um dem Vorwurf der 'Rassenschande' vorzubeugen, legten die deutschen Behörden etwa fest, dass Polinnen in Bordellen 'Sachen' und nicht 'Personen' seien. Auch in KZs wurden Frauen angeworben, unter der zumeist falschen Versprechung, damit das eigene Leben retten zu können.

Bisher gab es nur bruchstückhafte Recherchen und einige wenige Augenzeugenberichte über die Militärbordelle und die Schicksale der Frauen, die dort interniert waren. Die Opfer dieser Verbrechen haben zeitlebens versucht, das Erlebte zu verdrängen.

Überlebende aus Polen und der Ukraine haben das Schweigen gebrochen. Sie berichten, was sie erlebt und beobachtet haben. Sie erzählen auch davon, dass der Leidensweg der Zwangsprostituierten ein besonders bitterer war. Sie fanden auch bei den eigenen Landsleuten keinerlei Hilfe, ganz im Gegenteil. Zur traditionellen Verachtung gegenüber Huren kam in den meisten Fällen noch der Verdacht der Kollaboration. Viele Frauen, die das Militärbordell überlebt haben, wurden als angebliche Verräterinnen umgebracht. Auch deshalb stellt sich die Aufklärung ihrer Lebenswege bis heute als außerordentlich schwierig dar. Als Opfer sind sie bis heute nirgends anerkannt.

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